法蓮百物語

第6話 直立する縄

法蓮所属の某霊能者が、同業者の知り合いから聞いた話。ある日、その占術家の元に中年男性の相談客が訪れて、「家に幽霊が出るので退治して欲しい」と真顔で頼み込んできた。「専門外のことなので無理です」と断ったにも関わらず、相手は勝手に身の上話を披露し始め……。

直立する縄

私の私的な友人であるタロット占術家から聞いた話です。今から12年前に体験した出来事だそうです。彼女の名前は、仮に蓮(れん)さんとして話を進めます。その頃の蓮さんは「霊感タロット」を看板にして手広く仕事をしていたのですが、今では対面相談を一切止めてしまい、占術の理論研究や後進の育成に専念しています。分野違いの私の目から見ても優れた才能があることが分かる人で、会う度に「それだけの実力の持ち主なんだから、現役に復帰してみたらどう?」とお尻を叩くのですが、本人は「そんな気持ちはさらさらありません。もう私なんかの出る幕じゃないし」などと自嘲めいた言葉を口にします。何よりもある日、相談客として訪れてきた1人の男のせいで、人様の運勢を見るのが怖くなったそうです。

蓮さんは当時、マンションの一室を借りて運営していた個人事務所で、顧客の到着を待っていました。顧客というのはいくつもの飲食店を経営している遣り手の女性実業家で、毎週必ず、金曜日の午後に予約を取り、公私にわたる様々な事柄の成り行きを占断で見てもらうということを習慣にしていたそうです。しかしその日は予約時間の間際になって、「急用で行けなくなった」というキャンセルの連絡が入りました。

「でね、物は相談なんだけれど、私の代わりにどうしても見てあげて欲しい人がいるのよ。場所はもう伝えてあるから時間通りに来るはずよ」それだけ伝えると電話は一方的に切られ、ほどなく玄関のチャイムが鳴り響きました。ドアスコープ越しに覗くと、すぐ外の廊下にスーツ姿の男性が立っていました。年の頃は40代後半から50代の初め。背が高くてかなり恰幅がよく、相撲取りとまでは言わないまでも、見た目のボリューム感が半端ではない人物だったそうです。恐る恐るドアを開けて挨拶すると、男性は「▲▲(女性実業家の名)の遠縁に当たる者です」と自己紹介しました。

蓮さんは相手をカウンセリングルームに招き入れ、まずは冷たいお茶でもてなしました。ちょうど7月末の盛夏の頃で、たしかに外は炎天下の暑さでしたが、室内はかなり冷房を効かせているはずなのに、いつまで経ってもその汗は引かず、そのうちに座っていたソファーがベトベトに濡れるほどでした。(何だか鬱陶しい人だな。凄くイヤだな……)生理的な嫌悪感が先立ったものの、もちろん顔色には一切出さず、蓮さんは満面の笑みを浮かべて鑑定に入りました。

「それで今日のご相談の向きはどのようなことでしょうか?」そう問い掛けると、男性は待ってましたとばかりに身を乗り出し、堂々とした体格に似合わない卑屈で脅えた眼差しを投げかけてきたそうです。

「じつはですね、私の家に幽霊が出るんです。それを先生にどうにかしていただきたくて」「ゆ、幽霊ですか……」「はい、誰とも分からない女の幽霊です。いつも血塗れでボロボロの服を着ていて、そいつが夜中に家中を歩き回るんです」「ちょ、ちょっと待ってください。私はタロットを使って占うだけで、そういう特殊なことは……」「▲▲が言っていましたよ。先生には凄い霊能力があるって」「そんな、▲▲さんの買い被りです!」

そんな押し問答がしばらく続きました。蓮さんがお祓いの類はできないといくら断っても、男性の方は一向に聞く耳を持たず、ほとんど一方的に自分の置かれた状況について話し続けていたそうです。

住んでいる家は東京郊外の高級住宅街に建つ一軒家で、そこの広大な土地と家屋は曾祖父の代から綿々と引き継がれてきたもの。とくに家の母屋に当たる部分は戦前、外国の建築家に特注して建てた洋館で、その様式が珍しいので市の文化記念物に指定されそうになったこともあるとか、そもそも血筋を辿れば遠い先祖は有名な大名家の分家だとか、そんな胡散臭い自慢話から始まって、同様の取り留めもない話題を延々と聞かされた挙げ句、本題に入った頃にはすでに鑑定時間の半ばが過ぎていました。

「……というわけで先生、ウチに出る幽霊のことなんですが、どうしてそんなものが現れるようになったのか、原因が皆目分からないんですよ。過去に家の敷地内で女が非業の死を遂げたなんて話も聞いたことがありませんし、私は結婚以来ずっと家内一筋で、他に泣かせた女がいるとか浮気をしたとか、そういうことも一切ないんです。そんなわけで女の幽霊に恨まれる筋合いが、いくら考えても分からなくてね……」

「待ってください。その幽霊というのは最近、出始めたのですか?」「ええ、最近と言うか、ちょうど1年前のこの時分にいきなりです。最初にそれを見たのは、私ではなくて家内でした。深夜、おかしな物音に目が覚めて寝室から廊下へ出てみたら、髪の長い人影が右から左へスーッと通り抜けて行ったって。そのうちに同居している2人の娘や私の母まで同じヤツを目撃し始めて」「あなたご自身もご覧になった?」「もちろんですよ。さっきも言いましたが、顔全体が髪の毛で覆われた、とてつもなく気味の悪い女なんです。おまけにその服の袖口やスカートの裾からは、いつも真っ赤な血が滴っていて……」いつの間にか蓮さんは、自分から男性に質問し始めていました。決して話に興味を持ったというわけではなく、別の抗えない力に突き動かされていたのです。

(何だろう。この男の人の背後に見えているコレ……)

その両眼は異様な物体を捉えていました。それは男性のすぐ後ろで真っ直ぐに立つ、黒くて太い線のようなもので、よくよく目を凝らすと麻縄に似た質感を有する1本の長いロープであることが分かりました。床すれすれの空間から生えている格好で、それが天井近くまでぴんと張りつめて伸びていたのです。

(コレって実在しているの?それとも私が霊感で感じ取っているものなの?)

次第にロープから目が離せなくなり、さらに細部まで見えてきました。まるで生きている蛇のように、縄面全体が微かに脈打っていることにも気づいたそうです。

(うううっ、気持ち悪い!……)

思うと同時にめまいに襲われ、一瞬、意識が混濁しました。口角泡を飛ばして語り続ける男性の声が遠くなり、再び正気を取り戻してまた愕然!いつの間にか気味の悪いロープ状の物体が視界から消えていました。いや、それどころか、相談者の男性の姿まで見えなくなっていたのです。テーブルには汗をかいたガラス茶碗が置かれていたものの、冷茶に口を付けた形跡はなし。時計を見ると3時間近くが経過していました。

後日、女性実業家と連絡を取ると、「たしかに急な用件で行けないって断ったけれど、代わりに誰かを紹介した憶えはないわよ。第一、私にはそんな遠縁の親戚はいないし」と不機嫌な声で突っぱねられたそうです。

「その女性、本業の他に不動産ブローカーみたいな仕事にも手を染めていたんです。ほら、ワケありの競売物件なんかを安く買って他へ転売したりする仕事ですよ。ここからは私の推測なんですが、あの太った男性って、彼女に家屋敷を奪われて無理矢理に追い出された人だったんじゃないかな。それで絶望して、あんな感じの縄で首をくくっちゃったとか。つまり、幽霊が幽霊の相談に来たというわけですよ。それで、もしその通りだとすると、彼が自宅に出るって訴えていた女の幽霊というのは、▲▲さんの分身ってことになりますよね。あの男性は死んでもなお、彼女から嫌がらせを受けて苦しんでいるわけです。そう考えると、とても気持ちの悪い話でしょう?」

蓮さんはいつものように自嘲気味の笑みを浮かべ、最後に話を締めくくりました。

「たぶん、あの時にあの縄だか蛇だか分からない物体に私の霊感も吸い取られちゃったんでしょうね。肝腎のタロットも全然当たらなくなって、それから1年後に潔く廃業しました。そのようなわけで直接、人間と面と向かう形の鑑定相談は、死ぬまでもう2度とやらないつもりです」

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