法蓮百物語

第5話 「その女、人に非ず」

法蓮に在籍する先生の兄弟子が、占術家時代に体験した不気味な話。顧客の会社社長から頼まれて、中途採用を予定している人材を易で占うと、不吉な卦が出てしまった。あえて口をつぐんで「問題なし」と伝えたところ、後日とんでもない事態に進展し……。

人に非ず

修行時代の兄弟子に当たる人物から聞いた話です。名前は仮に松田さんとしておきます。彼は元々、四柱推命や紫微斗数、気学など東洋占術の勉強をしていた人で、霊能修行を始めてしばらくは占術家として生計を立てていました。

当時、彼には山本氏というパトロン的な顧客がいました。その主な依頼事は新たな取引先の隠された内情診断や、雇用を予定している人材の査定など。得意の占術手法を用いて、会社経営者の山本氏に細かく進言していたのです。ちなみに山本氏は、不動産や土木関係の会社を複数保有するやり手の実業家で、年齢はすでに70歳を過ぎながら、若さとバイタリティに溢れた人物であったそうです。祖父の代まで修験者を務めていた家の生まれで、そのせいか神秘的な事象に理解が深く、経営人事に占断を取り入れるという発想も自ら思いついたもの、と聞きました。

そんなある日、いつものように山本氏から連絡が入り、ある女性を中途採用する予定なので、その性格の良し悪しやビジネス適性などを見てもらいたいという依頼を受けました。電話を切って数分待つと1通のFAXが送られてきて、そこにはその女性の略歴を記したデータが記載されていました。現代では個人情報の保護や管理についてとても厳しくなっていますが、まだその頃はそうした事柄に関する企業倫理が徹底しておらず、送付されてきたFAX用紙も本人が提出した履歴書を丸写ししたような代物でした。彼女の名前は城崎佳世子(仮名)。

有名私大を卒業後、業界中堅のデベロッパーで業務経験を積み重ねたキャリアウーマンでした。前の会社では課長補佐まで務めたと記されており、そんな生え抜きがなぜ転職を考えたのか不思議に感じたものの、さしずめ男社会の業界で優秀さが祟って爪弾きにでもされたのだろうと、その時はさして気に留めませんでした。さっそく城崎佳世子の命式を作成したところ、男であれば一国一城の主になるほどの優れた命運の生まれであることが分かりました。念のために紫微斗数や気学で見ても似たような結果が現れたので、この女性なら間違いなく会社の即戦力になるはずだと判断。最後にいつもの習慣で筮竹を取り出し、易を立ててみました。するとそれまでの占断結果を覆す、不吉な象意を得てしまったのです。

「山風蠱(さんぷうこ)の4爻変か。お世辞にも良い卦とは言えないな……」
易占に馴染みのない方のために簡単に説明すると、山風蠱というのは易の64卦のうちのひとつで、上卦が艮(山)、下卦が巽(風)で構成されています。蠱という字は「風通しが悪くて皿に虫が湧く」状態を表しており、つまり物事が腐敗して乱れる凶意を含んだ卦です。さらにその4爻の爻辞には「父の蠱(こ)を裕(ゆた)かにす。往(い)けば吝(りん)を見る」とあります。現代の言葉に言い換えると「父祖や先代が残した難事を、上手く処理することができずに恥をかく」という意味です。

少し考え、易の占断は無視することにしました。元々、易占は専門外であり、ほんの参考程度にとの思いで卦を出しただけなので、さほど重く考えなかったのです。それで当日のうちに山本氏に電話を返して、「とても優秀な人材なので、採用して間違いはない」とアドバイスしました。(これからもこの彼女みたいな社員が集まってくれれば、会社も安泰で俺も安泰。まさに三方良し、だな!)

しかし、それから半年ほど経った頃、松田さんは案に反して経済的な窮地に陥っていました。今まで頻繁に来ていた山本氏からの鑑定依頼が、ある時期を境にパタリと止んでしまったのです。(知らないうちに、向こうの機嫌を損ねることがあったのかも……)そんな嫌な考えが頭をよぎり、こうなれば自ら山本氏の会社へご用聞きに伺おうと決めました。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
オフィスビルのロビーで松田氏を出迎えたのは、あの城崎佳世子でした。直に顔を合わせたのはこの時が初めて。実際の本人は写真で見るよりもずっと垢抜けしており、色香に溢れた魅力的な女性だったそうです。それが美しい笑顔を浮かべ、「松田様のご推薦もあって、無事に転職できました」と頭を下げてきました。

「今は通常業務の傍ら、社長の私設秘書のようなこともしております」
「そうなんですか。重用されていますね」
「滅相もありません。松田さんこそ、山本社長のお気に入りじゃないですか。お付き合いも長いと伺っています」

「ううん、それがですねぇ……」と言い淀みながら、ふと城崎佳世子が少し脚を引きずって歩いていることに気が付きました。すると向こうも視線を感じ取ったらしく、「ああ、これ。1年ほど前に怪我をしまして。以前は山登りが趣味だったのですが、夏に北アルプスを縦走した時に滑落してしまったんです」
「そりゃ危なかった。もう、お身体は大丈夫なのですか?」
「ええ、まあ。外傷はほとんど癒えましたが、ご覧の通り、脚がまだちょっと。じつは前の会社を辞めたのも、入院治療で長く休んだのが原因で」
そんな話を続けるうちに最上階の社長室へ到着しました。

残念なことに、山本社長との面談は不首尾に終わりました。これまでの気さくな人柄はすっかり影を潜め、とりつく島もない雰囲気を漂わせていたそうです。また少し見ないうちに顔色がやけに悪くなり、ゼエゼエと荒い息を吐いて言葉が途切れる場面もあったと。それを見て「どこかお悪いのですか?」と声を掛けると、山本氏は「何でもない!」とぶっきらぼうに頭を振り、「とにかく会社の方針が変わったんだ。占いで経営や人事を決めるのは非科学的だと、下からの突き上げが急に多くなってな。ま、そういうことだから」と、冷淡に言い残し、澄まし顔で脇に控えていた城崎佳世子を伴って席を立ちました。

社長室に取り残された松田さんは、顔見知りの男性社員の導きで部屋から出て、とぼとぼエレベーターへ向かいました。そして2人で箱へ乗り込むと、その社員がいきなり話し掛けてきたのです。

「僕、今月付でこの会社を辞めるんですよ」
「えっ!そりゃまた、どうして?」
「業績が急激に悪化してね。銀行も腰が引けてるんで長くは保ちません」
ここ半年、社長が急に無謀な投資を始めたせいで、財務状況が火だるまになっていると、彼は苦々しい表情で漏らしました。

「まさかあの聡明な山本さんが、信じられない……」
唖然とする松田さんの顔を社員が正面から見つめてきました。その眼差しは憎悪の色を含んでいました。
「言い方が他人事ですねえ。責任の一端はあなたにもあるのに。あの女の採用にOKを出したんでしょう?」
「言われている意味が分かりません……」
「一度、週末にでも社長の家へ行ってみればいい。そうすりゃ、よく分かるから」

その週の土曜日、松田さんは山本社長の邸宅へ向けて車を走らせていました。件(くだん)の社員に言われた通り、何が起きているのかを自分の目で確かめようと思ったのです。「社長は妻と家族を家から追い出して、城崎佳世子と2人で暮らしている」とも聞かされていました。夕刻、郊外の高級住宅街へ入ると、見覚えのある豪邸が見えてきました。

その少し手前で車を停め、とりあえず外から屋敷を窺うことにしました。塀の周囲を回ると生け垣の一画があったので、その隙間から覗き込んだ途端、松田さんは言葉を失いました。広い庭の真ん中で、社長が必死で穴を掘っていました。贅肉だらけの裸を晒したパンツ1枚の格好で頭から足まで泥だらけになり、素手で庭の土を掻き出していたのです。周囲には同じような穴がいくつも点在し、芝生の地面が無惨に荒れていました。そのうちに疲労困憊したのか、社長の動きが止まりました。遠目にも分かる夢遊病のような顔付きで、しばらく天を仰いだかと思うと、そのまま穴の中へ突っ伏しました。するといきなりテラスの方から、女の怒声が響いてきたのです。

「手を止めるなっ」 いつの間にか庭の片隅に、城崎佳世子が立っていました。くわえ煙草で腕組みしたまま社長の背後に近づくと、笑みを浮かべて言い放ちました。
「穴の数がまだ足らないだろうが。おまえの一族全員、埋めなきゃなんないんだから」
と、信じられない雑言を口走ると、マニキュアの指を伸ばして社長の首下を掴み、足が浮く位置まで軽々と持ち上げてしまったのです。相手は老人とはいえ身長180センチ近い体格の持ち主。とても女の腕力とは思えません。さらに社長の耳へ囁くように、
「もう少し働いたら、昨日みたいに猫の首、食わせてやるからな。ほら、頑張れよ」
あまりの事態に吐き気を催した松田さんは、震えながらその場を逃げ出しました。山本氏の自宅が火事になり、本人が焼死したというニュースが飛び込んだのは、それからおよそ2週間後のことだそうです。

松田さんは訃報を聞いたその足で師匠の道場へ飛び込むと、一連の出来事を洗いざらい告白しました。すると師匠は瞑目して透視を始め、やがて厳かに一言発したのです。 「その女、
人に非(あら)ず」
「えっ?!」
松田さんは愕然として師匠の声に耳を傾けました。
「もう少し霊眼が開けば分かるだろうが、この世には人の姿を取りながら人でないという、恐ろしい奴等がいる。これは決して例え話じゃないぞ。文字通り、本物の化け物が人の皮をかぶって現れることがあるんだ」
「そ、それはつまり、その女が……」
恐る恐る訊ねると、師匠は暗澹とした表情で頷きました。

「女の正体は、代々修験者だったという山本家の先祖が、飛騨の岩倉に封じた魔物だよ。500年ほど時が経って封印が緩んだところへ、たまたま崖から落ちてきた死体を見つけて、子孫に復讐するために乗っ取ったんだ。つまり、城崎佳世子という女自体は、とっくの昔に山の事故で死んでいる、ということだ」
松田さんはそれを境に、長年培った占術家の経歴をきれいさっぱりと捨て去りました。

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